消費文化としてのバンクーバー冬季五輪
冬季オリンピックは、浅田真央の銀メダルにより終焉を迎えるようである。まだ競技は続いているが、日本メディアにおける、この間の「主役」は、間違いなく浅田真央であった。メディアは彼女を終始追いかけ、彼女の経歴、家族、支援スタッフに至るまで丁寧に紹介した。一人の少女の「自己実現物語」として。
そして、キム・ヨナとの「ライバル物語」がそれを補強する形で導入され、2月26日のフリーの演技で最高潮に達したのである。人々はその物語をメディアを通じて消費し、酔いしれた。そして「彼女から力をもらい」、「真央世代“私も就活がんばる”」(朝日新聞見出し)と結んだ。
浅田真央だけでなく、他の期待される選手についてもメディアは「自己実現の物語」を作った。「母子家庭における母の献身」、「病気や怪我との戦い」、「子弟愛」、「亡き父へのメッセージ」・・・スポーツ紙だけでなく、朝日などの一般紙もこのような手法で記事が書かれた。
服装の乱れと記者会見の態度でバッシングされたスノーボードの国母君についても、「難病の友人を励まし支援した」話を紙上に載せた。多分一方的なバッシングに対しての「バランス感覚」が記者に働いたのだろう。
冬季オリンピックは巨大メディアによって成立し、メディアが構成した映像や記事を商品として消費者が享受する構造になっている。里谷多英よりは上村愛子、安藤美姫よりは浅田真央の情報が重視される。
そして、ほとんどの種目は、我々の生活に密着したスポーツ文化とは無縁の「スポーツショー」と化している。私達は冬季オリンピックが終われば、次の「商品としてのスポーツ物語」を求め消費し続けることになるだろう。「スポーツが大衆の生活の一部となる」=スポーツ文化とは本来、このようなものではないはずだ。冬季オリンピックをTVで見るたびに強くそれを感じる。
そして、キム・ヨナとの「ライバル物語」がそれを補強する形で導入され、2月26日のフリーの演技で最高潮に達したのである。人々はその物語をメディアを通じて消費し、酔いしれた。そして「彼女から力をもらい」、「真央世代“私も就活がんばる”」(朝日新聞見出し)と結んだ。
浅田真央だけでなく、他の期待される選手についてもメディアは「自己実現の物語」を作った。「母子家庭における母の献身」、「病気や怪我との戦い」、「子弟愛」、「亡き父へのメッセージ」・・・スポーツ紙だけでなく、朝日などの一般紙もこのような手法で記事が書かれた。
服装の乱れと記者会見の態度でバッシングされたスノーボードの国母君についても、「難病の友人を励まし支援した」話を紙上に載せた。多分一方的なバッシングに対しての「バランス感覚」が記者に働いたのだろう。
冬季オリンピックは巨大メディアによって成立し、メディアが構成した映像や記事を商品として消費者が享受する構造になっている。里谷多英よりは上村愛子、安藤美姫よりは浅田真央の情報が重視される。
そして、ほとんどの種目は、我々の生活に密着したスポーツ文化とは無縁の「スポーツショー」と化している。私達は冬季オリンピックが終われば、次の「商品としてのスポーツ物語」を求め消費し続けることになるだろう。「スポーツが大衆の生活の一部となる」=スポーツ文化とは本来、このようなものではないはずだ。冬季オリンピックをTVで見るたびに強くそれを感じる。
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